砂川闘争の歴史継承へ展示継続を
砂川学習館で先月29日夜、「たちかわ市民連合」主催の集会「砂川学習館『砂川地域歴史と文化展示コーナー』 展示の継続を考えるつどい」が開かれ、砂川町などの皆さん約50人が出席。私も参加してきました。
砂川学習館は旧砂川町役場の跡地に立ち、1階の玄関を入ってすぐ左側に「砂川闘争」の歴史などを紹介した展示コーナーが設置されています。市は学習館の建て替えを計画していますが、建て替えに伴い、常設の展示コーナーは設けない方向だということで、今回の集会が開かれました。
登壇者からは、砂川闘争の展示に疑問を持つ議員さんの市議会での質問がきっかけで展示の是非の議論が浮上し、11月議会で市側から常設展示はやめるとの方針が示された、との紹介がありました。集会の参加者からは「歴史を抹殺してはならない」「闘争があったからこそ、今の立川の発展がある」などと、展示コーナー維持を求める意見が相次ぎました。
砂川闘争は、地元住民の意思を無視し、地方自治の原則も踏みにじり、基地拡張を強行しようとした政府に対し、住民が「ノー」の声を上げ、自分たちの運動で暴挙にストップを掛けたという輝かしい歴史だと思います。私も、砂川闘争の歴史を次代につなげることが必要で、決して忘れてはいけないと思います。
展示コーナー廃止にストップをかけ、砂川闘争の歴史と教訓を語り継いでいくために、私も微力ながら関わっていければと思っています。一緒に頑張っていきましょう。
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砂川闘争はご存じのように、米軍立川基地(当時)の滑走路拡張計画が明らかになった1955年、砂川の農家を中心とした方々が、先祖伝来の農地やコミュニティーを守るために、拡張計画撤回を求めて立ち上がった非暴力の闘争です。55年、56年と政府は農地収用のための測量を強行。座り込みやスクラムでそれを阻止しようとした農家の方々たちに多くのけが人や逮捕者が出ました。特に56年は農家を支援していた学生や労組組合員らに機動隊が殴りかかるなどし、多くの学生らが負傷。「流血の砂川」と言われました。57年には基地内の測量を巡って「砂川事件」も起きました。砂川事件の一審東京地裁判決は「米軍駐留は憲法違反」とした有名な伊達判決です。砂川闘争・砂川事件についてマイナスの評価をする方もいるようですが、砂川闘争があって政府は測量を断念。滑走路延長も実現せず、そのおかげで立川基地は日本に返還されました。憩いの場として市外からも多くの人たちが訪れる昭和記念公園が誕生したのも、駅北口が再開発され、立川が大いに繁栄したのも、全て砂川闘争があってこそです。
砂川闘争は立川市にとって、市民の力で基地返還を勝ち取った誇るべき歴史であり、沖縄の基地問題や日米安保条約、日米地位協定、憲法9条、さらには地方自治、司法・裁判所の在り方など、今日の日本社会を考える上でも大変貴重な示唆を私たちに与えてくれます。砂川闘争の歴史や、砂川事件を巡る裁判の歴史は、全国から学習ツアーを募ることができるような、立川の貴重な財産・観光資源でさえあると考えています。