「実物展示の大切さ理解」 砂川資料コーナーで市答弁

実物展示の一部

立川市議会の第3回定例会は9月30日、全議事日程を終え、閉会しました。本会議での一般質問と決算特別委員会については既にご報告しましたが、その後、私が所属する環境建設委員会など各常任委員会や、議会改革特別委員会などが開かれました。以下では、砂川学習館「砂川地域歴史と文化の資料コーナー」に関するやりとりに関し、ご紹介させていただきたいと思います。

私が一般質問で取り上げた資料コーナー存廃問題については、9月26日の文教委員会で山本洋輔委員が、会派「立憲ネット緑たちかわ」を代表する形で質問。共産党の永元香子委員も質問しました。学習館を所管する市教育委員会からは「現状のような実物展示で常設をすることはできないと考えている」との答弁の一方、「実物展示することの大切さも十分理解している。実物展示を一部展示することについても協議している」「一部の展示を何にするかについても含め、引き続き協議していきたい」との答弁がありました。

文教委員会で質問する山本洋輔委員

建て替え後は、現在のような区画を仕切った「資料コーナー」として設けることはできないが、壁面を利用した展示だけではなく、現在展示されている鐘や鉢巻き等の〝実物〟についても、可能な範囲で展示できるよう努力するとの趣旨と解釈しました。地域の方々を含め多くの市民が資料コーナー廃止に反対し、実物展示を求めてきたことで、市側の姿勢も徐々に変化してきているのかなと感じています。ただ、真意も、最終的な展示方法も分からないままなので、今後の経過もきっちりフォローしていきたいと思います。

私が9月7日の一般質問で述べた内容も、以下で紹介させていただきます。お読みいただければと思います。「砂川闘争」は日本史に残る重要な出来事だという歴史的意義を強調しました。

【一般質問での発言要旨】立川市は、砂川学習館の建て替えに伴い、館内の「砂川地域歴史と文化の資料コーナー」を廃止する方針を示されています。建て替えで床面積が狭くなるため、スペースを取ることができない、というのが理由だと聞いています。しかしながら、展示の中核をなす「砂川闘争」は、日本史教科書として有名な山川出版社の『詳説日本史』でも、写真付きで紹介されているほどの歴史的出来事です。同教科書の巻末に7㌻の極コンパクトな年表がありますが、その年表にも1955年の所に「社会党統一、保守合同」と並び「砂川闘争」が記されています。それほど、日本史において貴重な出来事です。立川市にとっても、米軍基地返還により、JR立川駅北口の再開発などが進み、今の立川の繁栄がもたらされたと言えます。

第3回定例会最終日の9月30日、本会議場で

砂川闘争は、その歴史的な出来事としての大きさや、歴史的意義、現在の立川市への貢献度を考えるなら、本当は単独の歴史資料館にして、展示や紹介をするべきだと思います。それが無理であるなら、せめて現状維持の展示をするべきだと思います。

砂川闘争の話は、現在の沖縄の辺野古米軍基地移設問題ととても似ていると思います。沖縄では2019年に、県民投票で7割を超える市民が辺野古移設反対を表明したにもかかわらず、土砂の投入は県民投票の翌日から再開されました。日本は本当に民主主義なのだろうかと疑ってしまうような話です。しかし、砂川闘争は、諦めずに市民が力を合わせれば勝利もあり得る、という市民の希望となる出来事ではないでしょうか。その意味でもしっかりと、この砂川の地で伝承していく必要があると考えます。

砂川闘争をむしろ積極的に観光資源とし、「砂川闘争歴史ツアー」などを開催することも考えられます。砂川闘争そして伊達判決など、小中学校の市民科でも活用し、立川の歴史を子どもたちにも伝えていっていただけますよう要望いたします。(以上)

※今後、砂川学習館の問題だけでなく、他の重要な懸案についても次回以降の活動報告で、定例会での議論の中身についてご紹介できればと思っています。